笛の音(2) 1998年11月5日

 最近、笛の音が変わってきた。
 どう変わったかというと、自分の笛から古管の音が出るようになってきたのだ。

 能管は作製されたばかりのうちは新管と呼ばれる。新管の特徴として、音が硬い、音が出にくいと言われている。これに対し、時を経た笛を古管と言って角の取れた柔らかい音が出ると言われている。能管は竹で作られている。楽器として成熟するのに時が必要なのだろう。
 作製後どれくらいまでを新管と言い、どれくらい経った笛を古管と言うのか、その基準を私は知らない。ただ、江戸時代に作られた笛は古管と言われている。だから、百年経てば古管の領域に入るのは間違いない。では明治の笛はと言われると分からない。

 能の笛方は名管と言われる笛を吹いている。特に代々笛方の家では国宝級の笛を吹いている。私の師匠の家も古い家柄である。師匠の父である大先生(おおせんせい)は足利将軍下賜の笛を吹いている。四百年は経ている一品である。もちろん国宝である。大先生は若くして人間国宝となった。あるインタビューで出る笛の音が国宝ですよと答えられているのを読んだことがある。残念ながら、大先生の笛”銘一文字”は雑誌のグラビアで見ただけで実物を拝見させていただいたことはない。
 私の師匠の笛もかなりの年代物と見受けられる。銘はお聞きしたことがないので知らない。こちらは、ごく間近で見せていただいた。大先生の笛には及ばないと思われるが、歌口(吹き口)の朽ちかかったような様は経た年月の長さを十分に示している。
 私の師匠の弟先生(おとうとせんせい)の笛は”法橋”である。これは江戸時代の作で二百年程経っていると聞いている。”法橋”というと音が硬くて吹きにくいと通説になっているくらいの笛である。確かに作られた新管の時には、音は出なかったようだ。作者は百年、二百年後に音が出るのだと言っていたと伝えられている。

 私のような素人は、笛の稽古を始めてから笛を手にする。新規に購入するので新管を吹き始める。それでも、素人の吹く笛で古管の音を聞いたことが二回ある。一度は、仙台で囃子の会があったとき。笛の主は山形から見えた方であった。その方とは直接話すことがなかったので、笛の由来は聞けなかった。もう一度は、私の師匠の弟子、つまり私の兄弟弟子の笛。こちらは神田の古い神社かどこかにあった笛と聞いている。いずれにしても両方とも古管であったのであろう。

 私自身は古管に対してすごい憬れを持っている。玄人が古管で奏でる旋律の妙は、新管では表現できないと思っている。ここで一つの問題がある。それは、だれが吹いても古管からは古管の音が出るのかということである。古管の音とはどういう音かと聞かれてもなかなか答えるのが難しい。一つだけ言えるのは古管は柔らかく幅のある中間音程が出せるということである。中間音程とは、高くもなく低くもない音程という意味である。私の考えでは、古管はだれが吹いてもそれなりの音が出るであろうと思っている。現に,素人が吹く笛から古管の音が聞こえていた。ただし、私の経験からどんな名管でも吹きこなす、つまり十分に慣れた後でないと音は出せないだろうと思う。これまでに少し古いと思われる笛を吹く機会が二度ほどあった。その時は、その笛からは古管の音は出なかった。しかし、慣れた後に出る音は新管と古管ではまったく違ったものであろうと思う。

 素人が吹く笛に古管の音を聞くこともあった。逆に玄人の笛方が舞台で古管しか吹かないかというとそうでもない。新管を吹いている舞台に出くわすこともある。金沢の能楽堂で能”檀風”を見たことがある。笛は金沢の笛方である。それ以前にも聞いたことがある笛方だった。この方の笛はどちらかというとぶつぶつと短く切ったような吹き方だった。たっぷりと息を引く吹き方ではなかったと記憶している。”檀風”ではその特徴がさらに助長されたように中間音程が細く短く聞こえた。私は今聞こえてくる音は新管の音であろうと考えながら舞台を見ていた。この点を後日人を介して確かめてもらった。その先生は気に入った笛(新管)があったので舞台で吹いたということだった。
 私の師匠の父親である大先生もここ何年か新管を吹いているのではと思っている。ある年の正月にTVで放映された能”西王母”を聞いていた。聞こえてくる笛の音は”銘一文字”と違っていた。急いで画面を見て笛の外観を確認しようとしたが、所詮TVでは笛の細かいところなど見えるはずもなかった。その後、二、三度舞台で大先生の笛を聞いた。その時も新管の音にしか聞こえなかった。私の師匠に確かめれば済むこととは思いながら現在に至っている。

 さて、私が現在吹いている笛は入手してから十四年経っている。私の三本目の笛である。最初の笛は大学の能楽部所有の笛で、いわば個人で預かった形であった。個人で所有したくて二本目の笛は師匠を通じて購入した。その当時(1975年頃か)、入手できる新管はあまり太いものがなかったようである。三本目は、30才になったころで経済的にも余裕ができた頃の購入である。本当は古管が希望であった。師匠にその旨を話したが、古管はなかなか出なく難しいというこだった。残念ではあったが古管の方は断念した。もうすぐしたら新管が入るからその中から一本と師匠に勧められた。なるべく太い笛をと希望を伝えておいたので、師匠が私の前に並べてくれた笛数本は、いずれも当時所有していた笛より太いものであった。師匠から気に入ったのを選ぶように言われ、笛を取っ替え引っ替え吹き比べた。その中で形(私には一番バランスよく見えた)が良く、音色が私好みで少し鳴りにくい笛を選んだ。いい笛は最初は鳴らないものだと言われていることが頭にあったからだ。この笛を使って稽古を始めるとなかなか音が出なかった。笛の太さが以前の笛と違うので歌口を当てる位置が変わったことと押さえる指の感触が変わったことが原因と思っている。特に穴を全部塞いだ音が全然出なかった。その結果、曲の感じも少し異なったものとなった。

 新管の見本のようであった私の笛も徐々にその音が落ち着いてきて私が意図する音が少しは出るようになってきた。そして、ここに来て(いつからかはわからない)私が憧れていた古管の音が私自身が吹く笛から出るようになった。わずか十四年しか吹いていない笛だから古管というのは正しくないとは思うが、それに近い音が出るようになったのは間違いない。私の笛はひょっとしたら百本に一本の名管だったのかもしれない、でも十四年くらいで音が出る笛は通説からするとはずれなのかもしれない。いろいろ考えることもあるが、今は出ている音を聞くことの方がうれしくて深く考えていない。
 私の笛が本当に古管になる百年後には、どんな音が出ているのだろう。確かめることは不可能だが聞いてみたいものだ。せめて五十年先の音は。

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